イベントレポート ライブ

だから僕らはライブハウスに足を運ぶんだ〜沖縄テラコヤで素敵なミュージシャンに出会った話〜

(音楽に夢中で写真がほぼありません。拙い文章のみでお楽しみください。また、レポートということで敬称を略させていただいております)

※本記事は2022年12月に公開した記事を、加筆・修正して掲載しております。

僕は初めての場所に行くのが得意ではない。

いや、どちらかといえば苦手だし、ごく稀に苦痛を感じることもある。

それが、ライブハウスやライブカフェだと特に…

「何がそんなに嫌なの?」

と聞かれても、僕は結局答えを持ち合わせていない。

強いて言うならば、お客さんが苦手な時があるということだ。

アイドルのライブを見に行った人は感じることがあるかもしれない。

新参者が加わりにくい雰囲気。

すでにしっかりとした絆ができている中に飛び込む異質感。

固定のファンがいる場合に感じてしまう新参者ゆえの疎外感。

おそらく、それにさいなまれるのが僕は嫌なのだろう。

それでも、僕が初めての場所に向かうのは、どうしても会いにいきたい人が来るからだ。

そう、僕は今日もそんな勝手な葛藤を自分の中に抱きながら、那覇市寄宮の道を歩く。

右手に居酒屋を見ながら目的地に向けて歩く。

沖縄テラコヤ入口
本日(12/11)のライブ会場「Asian Dining テラコヤ」

白い外壁に掛かる、やや淡いオレンジ色(自分自身の色の知識の少なさに愕然とする)の看板がライトに照らされて浮かび上がっている。

スマホを見て、店の名前を確認する。

先ほどは見過ごしてしまい、通り過ぎてしまっていたので、より注意深く。

「Asian Dining テラコヤ」

間違いない。

ホッとすると同時に少しだけ緊張が走る。

どうしても初めての場所に来る時の悪い癖だ。

階段を降りて扉を開ける。

グッと反発してくるような重量感を感じる。

店内は明るく、シンプルな作り。

椅子がズラリと並べられ、その前には譜面台が置かれている。

先客もいて、その中で金髪の男性が親しげにグラスに入ったお茶を飲みながら話をしている。

本日の主役、和製ケビンだ。

ラジオでよく聞いていた曲を歌っている本人が目の前にいる!

いつも思うのだが、この不思議な感覚はなんだろうか?

勝手に知り合いだと思ってしまいながら、どこか近づき難い壁を感じてしまう。

それはただ、僕が人見知りなだなのだけれど。

チケット代を払い、ドリンクを注文する。

本当ならオリオンビールでもクイッとやりたいのだが、車で来ているため烏龍茶で我慢。

椅子に腰掛けて開演を待つ。

目の前にはさまざまなポスターが貼られ、今日のワンマンツアーのポスターも見える。

明るくて良い雰囲気の店内。

開演を待つ間にもお客さんが次々と入ってくる。

どうやら、和製ケビンのライブに何度も来ている方が多いようだ。

だけど、嫌な雰囲気はしない。

どちらかと言えば、とてもアットホームな雰囲気だ。

新参者の僕だけど、何か温かく迎え入れられているような、そんな心地良さを感じた。

出だし好調。

勝手に心で呟いて、烏龍茶をゴクリと飲み干した。

店内の照明が落とされる。

中央に立つマイクに当たるスポットライト。

中央にギターを持ちブルースハープを首にかけた男性が1人。

ブルースハープの優しくてもの悲し気な音がライブの始まりを告げる。

口開けは「あほんだら」

人はさまざまな感情を持ちながら生きているものだ。

表現しようもない思いや感情をどうすれば良いのか。

この曲の歌詞「ただ歌いたくて」という言葉に込められているのは、そんな複雑な感情をどう伝えて良いのか分からなくて、だけどその伝えたい何かを音に乗せることで伝えようと苦悶する姿なのだろうか?

言葉というものの無意味さや脆さ、頼りなさをしんみりと感じさせてくれるオープニング曲。

それを力強く歌う和製ケビンの歌声が何とも不思議に沁みる気がした。

2曲目は「朝陽」。

自身の人生の歩みを切り取り、それを旅路とらえ、その先に見えてくるであろう美しい「朝陽」が昇る光景。

それを見るためには、人生という旅路への一歩を踏み出す勇気が必要なんだということを改めて感じさせられる歌だった。

僕自身もまだ人生の旅路の途中。

どちらかと言えば、遠く水平線に黎明の薄明かりが見えているような状態だ。

いつか朝陽を浴びられるように頑張ろうぜと、背中を押されたような気がした。

故郷への想いを歌う歌手は多い。

僕はそんな曲が好きだったりする。

歌い手のバックボーンが見え、どんな風景を見て育ってきたのだろうかと考えると親しみが湧くからだ。

和製ケビンの歌う「レペゼン越前」からは、その風景が感じられる。

僕は福井県に訪れたことはないのだけれど、勝手なイメージながら田園風景がさっと目の前に広がった気がした。

そして、その田園風景をまるで列車に乗って眺めているような疾走感。

車窓から和製ケビンの歩みを見ているような、そんな気持ちになれた一曲だった。

「匂い」には不思議な効果がある。

フワッと香った瞬間に、忘れ難い人の姿がそこに現れるという経験をしたことがある人は多いのではないだろうか。

特に好きだった人の匂いは忘れられないものだ。

いや、忘れようとしても、その匂いが鼻腔をくすぐった瞬間に思い出してしまうものだ。

そんな匂いにまつわる甘酸っぱさやふとした切なさを感じさせられ、40にもなるおじさんの胸は不覚にもキュッとしてしまった。

恐るべし、和製ケビン。

ファンになるしかない瞬間を味わった。

僕は京都に住んでいたことがある。

京都には三条大橋という場所があり、渡り切った場所には三条京阪駅。

いつも明るいのは駅の上にはブックオフが入っているから。

そんなブックオフの目の前や橋の下、鴨川の川縁ではよく駆け出しのミュージシャンが弾き語りをしていた。

カバー曲を歌う人。

オリジナル曲を歌う人。

さまざまな夢を追いかける人々がギター1本で歌っていた。

「シンガーソングライター」はそんな光景を思い出させてくれる曲だった。

人が集まっていなくても、彼らの中には一人として下を向いている人はいない。

そう、他の誰にも歌えない彼らの歌を歌っている、そんな光景。

僕もその頃は、シンガーソングライターに知り合いがいて、ライブに行ったり、路上でやると聞けば応援に行ったりしたものだった。

だから、よく分かることがある。

彼らは走り続けなくてはいけないのだ。

ライブが毎日ある訳ではない。

日々のアルバイトもある中、何とかして自分の歌声を届けたいという思いが強い。

だからこそ、時間があれば歌いたいのだろう。

どんなに小さなライブハウスであったとしても、誰も足を止めてくれないような路上でも。

そんな記憶をよみがえらせてくれる歌。

ふと、その人たちは今どうしているだろうと思ってTwitterを開いてみる。

まだ音楽を続けている人。

東京に行き、ある程度の実績を残しつつも、別の仕事をしている人。

更新が止まってしまい、どうしているのか分からない人。

人生はさまざまだ。

まだ走り続けている人たちに会いたくなった。

言い切らない表現には違和感を覚えるものだ。

僕が言葉を仕事にしているから、ということもあるかもしれないけれど、やはり結論を言ってくれないと頭がつんのめってしまう。

しかし、それが音楽に乗るとどうだろう。

不思議とその次の景色が見えてくる。

情景が浮かび、こんな表情をしているのだろうとか、こんな気持ちなんだろうなとか、生き生きとした表情が目の前に浮かんでくる。

言葉のその先、「〜って時はね」という表現がそれを呼び込んでいるのだろう。

語感が良く、それがメロディに乗って弾むように転がっていく感覚。

そこから次々と色々な表情が浮かんでくる。

笑い、嬉しさ、悲しさ、寂しさ。

転がる言葉と音楽に合わせるように浮かんでくる表情。

そんな感覚を呼び込んでくれる「ひとりぼっちの時はね」という曲は、言葉の縛りから外れた無限な広がりを感じさせてくれた。

音楽もさることながら、言葉の面白さを改めて感じさせてくれた和製ケビンに感謝の気持ちでいっぱいになった。

ここで前半戦が終了。

10曲を聴いて思ったのは、心の機微をとらえるのが上手い!という点だ。

心を揺さぶられるポイントは人それぞれだと思うのだが、和製ケビンの作る楽曲にはそのポイントが多いように思った。

曲の抑揚であったり、言葉の使い方だったり、その両方だったり。

聴いた瞬間はそうでなくても、曲のどこかでグッと心を掴まれる。

僕はそんな感覚に何度となく襲われた。

「後半も楽しめそうだな」と感じながら、また烏龍茶を飲もうとしたのだけれど、すでになくなっていて氷が溶けた水だけになっていた。

そんなことにも気付かないほどに、気持ちが持っていかれていたのだろう。

もうすぐ次の曲が始まりそうだから、僕は仕方なく氷水をすすった。

誰かを亡くした時の感情は、誰が亡くなったかによっても変化する。

悲しいのはもちろんだが、どうして?という気持ちも。

あるいは、「約束したことを守らないで逝ってしまうなんて!」と怒りに近い感情を抱く時もあるはずだ。

そして、僕はそんなミュージシャンたちの感情を近くで感じたことがある。

京都にいた頃によく通っていたライブハウス。

ライブ終わりに出演者と飲む機会が多くあった。

そんなある日のライブ終わり、友人のミュージシャンと連絡がつかないと慌てた様子の男性がライブハウスのオーナーと話しているのが聞こえた。

一緒に飲んでいたミュージシャンも知り合いの人だったらしく、心配だと話し込んでいた。

ワンマンライブを控えていたのだが、観客を集められずに悩んでいたという。

ワンマンライブにプレッシャーを感じ、憔悴していたので心配だと語る男性。

その数時間後に訃報が届いた。

集客を悩んでのことだったらしい。

オーナーはもちろん、そこにいたミュージシャン全員が肩を落とした。

そして、「何でだよ!」と叫び怒りながら泣き叫ぶミュージシャンも。

突然の仲間の死は受け入れ難いものだったに違いない。

それが自ら命を絶ったのであればなおさら…。

そんな悲しみや「なぜ?」という気持ちが入り混じったような「じゃあこの涙はなんだ」という楽曲。

僕は深く知る由もないけれど、胸に込み上げるものがあった。

あの日の暗がりのライブハウス。

そこにあった苦悶に満ちた顔がふと思い浮かんだ。

そんな一曲だった。

和製ケビンと言えば「燕」が思い浮かぶ。

大のヤクルトファンで知られているからだ。

ラジオ出演時も楽しそうにヤクルトスワローズについて語る様子が、同じヤクルトファンとして彼に興味を持つきっかけでもあった。

「燕が低く飛んでく、高く飛び上がるために」

ヤクルトファンにとっては、ついつい球団と重ねて聴いてしまうのだが、これは人の人生も同じ。

自分自身が悪い状況にあった時、どう感じ取るかによって未来は変わっていくのではないだろうか。

「どうして自分ばかり」「もうダメだ」

そう嘆いて暮らすのか、

「これは次のステップのための試練」「自分を高めるための時間」

と考えて前向きにとらえていくのか。

あえて自分の恥部を晒すのであれば、僕の若い頃は前者だった。

嘆いて嘆いて下を向いてばかりいた。

今でこそ、少し前向きになったが、それでも若い頃からの習性は恐ろしいもので、ふとした時に下を向きたがる感情に支配されてしまう。

「燕」はそんな感情を僕から取り去ってくれそうな、本当に力強い曲だった。

和製ケビンの力強い歌声と相まって、悪い時は高く飛び上がるための準備だと、背中を押された気がした。

それだけでも、僕はこのライブに来られたことに感謝するしかない。

オレンジ色は暖色なのに、どこか切なさを感じさせるのはなぜだろうか。

甘さの中に酸味があり、それが人生に似ているからだろうか。

いや、おそらくそれは沈み行く太陽の色だからだろう。

段々とオレンジ色に染まる人々の顔、街並み。

そんな風景が目に浮かぶと、やはりどこかそんな切ない感覚になる。

ギターの音色もそれにピタリと合わさるのが本当に不思議だ。

「オレンジ」という曲には、前向きな中にも切ない感情が込められているように感じた。

さよならは悲しい言葉ではない、また会うための言葉としながら、曲調はあまりにも切なくて胸を締め付けられる。

さよならが悲しい言葉であることを知りながら、その悲しさを抑えるために明るい意味合いを持たせようとする。

誰もが同じことを経験しているはずだ。

だからこそ、僕にはこの曲が胸に刺さったのだと思う。

黄昏ゆく世界が僕の目の前には広がっていた。

僕らの世代なのか、それとも僕の周りだけだったのか少し定かではないが、スニーカーと言えばコンバースというイメージがあった。

少し経つとナイキやアディダスに取って代わられていった気もするのだが、最近、僕が気になってやまないのはコンバースのスニーカー。

シンガーソングライターとして全国を駆け回る人にとって、相棒とも言えるのはギターと靴なのかもしれない。

旅を続けるごとに増える大切な場所、仲間。

責任も取れない言葉たちを空に放り投げたらという表現には、タンポポが綿毛を飛ばして遠い地へ舞い降りて根付くように、彼の歌が色々な場所で根を張り、多くの人々を楽しませ、励ましてくれているようなそんな気持ちを、勝手ながら受け取った気がする。

まるで笑っているかのように、つま先に黒のラインが入った靴、「ジャックパーセル」。

和製ケビンが歩んできた道のりと、出会ってきた人々と、歌ってきた全ての歌を聴いてきた相棒。

これからもたくさんの場所と仲間を作るだろうけれど、ギターと共に歩むジャックパーセルをまたどこかで見たいものだなと感じた。

エンディングは「RUN」、アンコールで「ホテルマドンナ」で締めくくられたこのライブ。

最後にどうしても紹介しておきたいのは、「パレード」だ。

コロナ禍は、多くのライブハウスやミュージシャンに影を落としたことだろう。

密室になりやすく、人も集まる。

クラスターが発生したこともあり、報道でも取り上げられた。

少しずつ声出しは緩和されてきたものの、ライブハウスで盛り上がり、一緒に歌うという日常の景色にはまだ戻れていない。

みんなで音楽で盛り上がれる日が来たらなと思って作ったというこの「パレード」。

「生きたいと本能が叫んでいる」「目に見えないものから脅かされて」という歌詞からうかがえるのは、ひとりの人間としての彼の心情ではなかっただろうか。

そして「いつかぶちかますその日まで最強の武器を研いでおけ」と繋がっていくこの曲。

「いつか君と会えるその日まで」

この思いは多くのミュージシャンが思っていた心の奥底にある正直な気持ち。

君と一緒に歌いたい。

君に会うために僕は生きる。

そんな切々とした気持ちが、明るい曲調で歌い紡がれていく。

今はまだ完全に回復したとは言えない日常。

それでも少しずつその日は来ている。

僕たちも、その日を待っている。

その時はどうか、一緒に歌わせてください。

あなたのその素敵な歌を。

勇気付けてもらえるその歌を。

どうか、一緒に歌わせてください。

和製ケビンと筆者
和製ケビン(左)と筆者(右)

ライブ終わり、知り合いの方に和製ケビンさんを紹介され、挨拶させてもらった。

僕の人見知り癖は遺憾なく発揮される。

これだけは困ったものだなと思う。

会話もほどほどにそそくさと会場を後にする。

会場であるテラコヤは、オーナーが変わるそうで、和製ケビンが歌うのはこれが最後だったようだ。

初めてうかがったところだったけど、明るくてスッキリした店内。

雰囲気の良いところだったので、1度しか来たことがない僕も残念に思ったほどだ。

多くのミュージシャンが思いと言葉を紡いだ場所が、その歴史に幕を引く。

僕は、初めて訪れる場所が苦手だ。

固定のファンがいるミュージシャンが苦手だったりもする。

でも、和製ケビンの場合、それは当てはまらないだろう。

本人もそうだけど、ファンもみんな人柄が良い。

新参者がちょこんといても、悪い気はしない。

いや、僕が気にしすぎなだけなのかもしれないのだけれど。

ただ、一つはっきり言えるのは、素敵なライブだったということ。

お客さんと一体になり、そして何より和製ケビンがギターとブルースハープと一つになって、音楽を言葉を紡いでいる姿が素晴らしかったということ。
僕は心地良さを感じながら家路に急ぐ。

夜の運転はちょっと苦手だ。

でも大丈夫、このライブレポを書いているということは、無事に帰れたということだから。

今、僕の頭には「ひとりぼっちの時にはね」がエンドレスで流れている。

なんとも心地良い言葉運び。

長らくお世話になる曲だろう。

また、聴きに行きたい。

その時はまた、主観いっぱいのライブレポを書くことにしよう。

和製ケビン2nd Album Zoo レコ発ワンマン
オシアワセーアラシミソーリvol.2 at沖縄テラコヤ
セットリスト

  1. あほんだら
  2. 朝陽
  3. 30歳
  4. レペゼン越前
  5. 匂い
  6. 笑ってよ
  7. シンガーソングライター
  8. 映画館
  9. あの子の顔を思い出せない
  10. ひとりぼっちの時はね
  11. じゃあこの涙はなんだ
  12. もういい
  13. パレード
  14. そら
  15. オレンジ
  16. Can you see it ?
  17. かぞくのうた
  18. ジャックパーセル
  19. RUN

en.ホテルマドンナ

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