この連載は、本サイト管理者である「へっさん」こと平敷篤が、沖縄のエンタメやビジネスを担う人々のインタビューを行い、沖縄のインタビューライターのメインストリームを目指す企画です。
地下芸人という言葉が世間に馴染み出す少し前、沖縄でも稀有な存在の地下芸人がコンビを結成します。
それが、今回インタビューを行ったお笑いコンビ、めたりかです。
沖縄の地下芸人推しの中では、名前を知らない人はいないと言っても過言ではないコンビ。
クレ・ユウイチロウさんといっさくさん、2人が織りなす「フリースタイルなお笑い」は、まさに唯一無二です。
2人が駆け抜けてきた「めたりか」としての軌跡と、これから何をしたいのか、何を目指しているのか聞いてきました。
めたりかメンバー: クレ・ユウイチロウ(写真:左)・いっさく(写真:右) 結成: 2019年10月 活動拠点: 沖縄 |
めたりかを結成したきっかけは、クレさんのコンビ解散から
――それでは初めに自己紹介をお願いします。
クレ・ユウイチロウ(以下:クレ):クレ・ユウイチロウです。一応、担当としてはめたりかのツッコミをやらせてもらっています。
いっさく:いっさくと言います。平仮名で「いっさく」です。
担当としては、ボケでもツッコミでもないので、無いってことになりますね(笑)。
クレ:いや、実はこれ、担当がはっきりしてないのがコンプレックスなんです。
でも、何ていうか、どこにも属していない、決めつけられたくないって気持ちはあります。
たまに、「クレさん、ボケかツッコミかよくわからないね」って言われて傷ついたりしますから。
いっさく:え?傷ついてたの?(笑)
クレ:ネタによって、2人ともがボケたりツッコんだりしないといけないことがあるので。
――ダブルボケでもなく、ダブルツッコミでもなく、ダブルボケ・ツッコミですか!新しいですね(笑)
クレ:本当は、担当がほしいと思うことがあります。
「めたりかです!担当は〇〇です!」みたいな、はっきりした担当が(笑)。
いっさく:ネタの中でも、お互いに相手の言うことを聞かないことがあります。
たとえば、「何でちゃちゃ入れてくるんだよ」とか。
だから、あえて言うなら「ダブルスカシ」ですかね(笑)。
クレ:お互いに、尊敬し合いつつ、見下しているっていうのもあるので(笑)。
――その関係性も不思議だなと思います(笑)。それでは、めたりかは、いつ結成したんですか?
クレ:めたりかを結成したのは、2019年10月です。
もともとは、「だるま」というコンビを組んでいて、お笑いバイアスロン(琉球朝日放送で放送される、お笑い賞レース。漫才とコント、両方でお笑いの総合力を競う)の決勝に出場したこともありました。
でも、その年のお笑いバイアスロンの決勝が決定した1ヶ月前くらいから、相方のネタのスパルタ加減に不満を感じていたんです。
お笑いバイアスロン後も日に日に口論することが増えてしまい、だるまは解散。
解散したその日の夜に、いっさくさんに電話して、「コンビ組みませんか?」と伝えました。
いっさく:僕はもともと、ピン芸人として活動していました。
クレさんのことは、知っていましたが、自分がコンビでお笑いをやることはないだろうなと思っていたんです。
でも、クレさんから電話がかかってきて、結果、コンビを組むことになりました。
そのときは、僕はユニット的な、一時的なものかなと思っていました。
クレ:僕はガッツリ“コンビ結成”のつもりだったんですけど、いっさくさんはユニット感覚だったみたいで、僕は結婚したいのに相手は恋人のままでいましょうみたいな温度差が(笑)。
いっさく:あの電話がプロポーズだったのかと今、思いましたよ(笑)。
でも、あの電話がなければ、今のめたりかはいないと思います。
めたりかがフリーとして活躍する理由も独特で面白い!
――芸人としての活動を始めたのはいつからですか?
クレ:結成の時期自体は、M-1出場のときに必要なので正式に決めました。
2人とも2018年くらいには知っていたんです。
僕はコンビとして、彼はピン芸人として。
いっさく:それ以前、いつから活動をやっていたかとなると、これが曖昧なんです。
クレ:いっさくさんは、ちゅ〜ぶ広域産業まつりじゃない?
いっさく:そうそう、あのまつりを初舞台としてカウントするのか、ヒューマンステージのお笑いライブ(2018年4月)を初舞台とするのか…難しいんです(笑)。
クレ:これがフリー芸人あるあるというか。
事務所に入っていれば、いつデビューだってわかるけど、境目がないという感じですね。
何をもってデビューとカウントするのか?が分からない。
いっさく:初舞台をデビューってカウントする人もいますね。
クレ:フリーなのか、アマチュアなのかでも変わってくるかもしれません。
いっさく:初めてお客さんのいる舞台に立ってギャラをもらった日がデビューと考える人もいますね。
クレ:僕は33歳の頃からお笑いを始めたので、2017年くらいかな?8年くらいになります。
いっさく:僕も同じくらいかな?
クレさんと、1年ズレてるくらいです。
――めたりかはフリーとして活動されていますが、どこか事務所に所属したいと考えたことはありますか?
クレ:僕は、どこかの事務所に所属しない明確な理由があります!
いっさく:僕にも明確な理由があります。
――お二人とも、事務所に「所属しない」理由があるんですね!?まずは、クレさんからその理由を教えてください。
クレ:当初は、よしもと沖縄のNSC1期生を狙っていて、よしもと沖縄所属に憧れてたことがあったんです。
でもその頃、既に結婚していて、子どももいたこともあって、生活もかかっていたので断念しました。
そんな中でも、29歳だったと思いますが、劇団の旗揚げのメンバーとしてご縁があって、働きながらも役者として少しずつ活動することになりました。
劇団出身で、周りの役者さんもみんなフリーで活動してて、フリーが当たり前だったんです。
もし急に事務所に所属したら「事務所に逃げたな」と思われそうでしたし、フリーのみんなにそう思われたくなくて。
だから、どこにも所属しませんでした。
それが所属しない明確な理由です。
いっさく:かなり尖ってるね(笑)。
クレ:あと、某事務所さんのライブに出たときには、「あいつ所属するだろ」みたいなことを言われて、それで逆に冷めちゃったり、あとは上下関係が厳しくて、先輩後輩怖いってイメージもあったりして(笑)。
とにかく、フリーから逃げたなと思われたくないので、僕は事務所に所属しませんでした。
――かなり尖った理由があったんですね(笑)。いっさくさんが事務所に所属しない理由を教えてください。
いっさく:ええ、もう明確な理由がありますね。
――ぜひ、教えてください。
いっさく:(真顔で)全然、声がかからないからです。
もう、どこからも声がかからないんですよ。
だから、僕は所属しません。
クレ:ええ!?(笑)
いや、そういうのって自分から行くものだよ。
オーディション受けるとか、事務所に問い合わせするとか!
いっさく:いや、いろんな芸人さんと仲良くなって、コネとか事務所からスカウトとか狙ってたんですが声がかからない。
まあ、僕のネタって結構、裸芸とかやったりするんで、フリー界隈で尖ってる奴がいるぞと思われて敬遠されていたのかもしれないですね。
あと、めたりかを結成したての頃は、コロナの時期で、ネタはやりたいのに、事務所ライブでフリーの芸人が出演できない時期がありました。
でも、そのあと、クレさんが頑張ってくれて、自分たちでもライブをできるようになってくるんですね。
そこからは、本当に楽しいことしかなくて。
所属していなくても、こんなに楽しいことができるんだ!と思えるようになりました!
今は最高ですね。
だから、どこかに所属してなくてもいいかなって思えるようになってきました。
うん、僕が所属していない明確な理由は、声がかからないことと、今が最高に楽しいから。
これです。
今や沖縄で欠かせないお笑い文化となった「大喜利」のきっかけは、めたりかだった!
――2019年10月に、めたりかを結成したとうかがいました。ちょうど、その頃はコロナの時期に入りかけていたと思うのですが、苦労されたのではないですか?
いっさく:結成して数ヶ月経った頃なんですが、まさにコロナが流行し始めたんですよね。
クレ:コロナが流行したことで、ライブができなくなってしまいました。
4回連続くらい出ていたライブも、事務所に所属している芸人以外は、出演出来なくなってしまって。
そのときに、切り捨てられたわけではないんですが、「今まではライブに出られたのに、どうして?」という気持ちになってしまいました。
そこから、燻る日々を送ることになりました。
――あの頃は、ほとんどのイベントが中止になっていましたね。コロナ禍になってから、どのような活動をしていたのかお聞かせください。
クレ:コロナ禍になって、ライブにも出られなくなったことで、自分の表現方法を閉ざされてしまいました。
どうしようかな?と悩んだときに、まずTwitter(現X)を始めたんです。
めたりかのアカウントを開設して、「活動しているよ」ってことを知ってもらいたかったんです。
自撮りをしてアップしてみたり、一言ネタ、動画ネタをアップしたり、色々やっていましたね。
その頃から、どこの事務所にも所属していない芸人たちでライブをやりたいな、という目標があったので、TwitterのDMを通じて、出演交渉とかもしていたんです。
そこで、ついにライブを開くことができて、大成功に終わりました。
でも、そのライブにいた出演者が、別のお笑いライブを立ち上げたんです。
同じようなライブは2つもいらないなと思って、僕らはいったん引くことにしました。
――苦労の絶えない時期だったと思います。その後に出会ったのが「大喜利」だったと聞いています。大喜利との出会いをお聞かせください。
いっさく:それ、実は僕もあまり知らなくて、詳しく聞きたかったんですよ。
クレ:2021年の6月かな、初めて大喜利を体験したのはZoomです。
東京、大阪、北海道、福岡とか、色々なところの人とZoomでつながって大喜利をするっていう、Zoom大喜利っていうのがあったんです。
そのZoom大喜利の主催者さんからTwitterのDMに連絡があって、参加することになりました。
そこで、大喜利の回答で爆笑してもらったことで、初めて大喜利の快感に目覚めてしまいました。
そこから、大喜利楽しいなという感情が芽生え、大喜利強くなりたいなという気持ちが高まり、今に至ります。
――コロナ禍という大変な時期だったからこそ、大喜利に出会えたんですね。今は、「壺屋演劇場かさね」で「大喜利の壺」というイベントをされていますよね。
クレ:かさねは、もともと僕が所属している劇団の代表が自主舞台と拠点のために、もともと民謡居酒屋だった場所を改装して作りました。
でも、土日は使っているけど、平日はほとんど使われないという状況で、代表から、何か平日にイベントを考えてほしいと言われたんです。
その頃は、フリー芸人のお笑いライブは別の人が主催している時期だったので、沖縄にはなかった大喜利が出来る場所を作りたいと思って、始めました。
仲間内で、楽しくワイワイやれる、楽しめるスペースとして始まったのが「大喜利の壺」の原点です。
――それが今では、沖縄を代表する大喜利会として知られるようになりました。
クレ:現在、大喜利会は、全国にたくさんあります。
その中で、「大喜利の壺」は真夜中までやっている、稀有なイベントとして知られているんです。
大都市である東京や大阪でも、毎週そんな時間までやっているところはないと聞いてます。
だから、「大喜利の壺」は全国の大喜利会から気になられてるかと!
いっさく:大喜利界の桃源郷とまで言われていて(笑)。
クレ:そうそう(笑)、「大喜利の壺」は大喜利会の桃源郷みたいです。
「解散なんて考えたこともない」ー再び新しいフリー芸人のための舞台を作った、めたりかの関係性とは?
――大喜利ができる場を作ったあと、一度はやめていたフリー芸人が出演するライブを再度、立ち上げられました。
クレ:もともとは、大喜利の壺に来てくれる人がみんな面白いんですよ。
だから、誘ったらお笑いしてくれるんじゃないかなと思って、大喜利の休憩中に「お笑いライブ出ませんか?」と声をかけていました。
そうすると、意外と「やりたいです」と言ってくれる人が多くて、これならお笑いライブもできるんじゃないかと思い始めたのがきっかけです。
かさねには舞台もあるし、そのタイミングで先ほどお話したフリー芸人さんのライブが途絶えたタイミングもありまして。
最初は、僕が役者出身ということもあるので、演劇関係の人とか、俳優スクールと連携してみたり。
お笑いの人もそうですが、演劇に携わる人や俳優も、勉強になるからって誘っていました。
2022年の夏頃に第1回目の「喜利の大壺(フリー芸人、舞台役者主体のお笑いライブ)」を開催した、という経緯です。
いっさく:クレさんは、人を誘うのがとてもうまいなぁと感じます。
大喜利のときも、MCとしてみんなに話をふってくれるし、みんなより沢山笑ってます。
だから、参加者からの信頼も厚い。
お笑いライブへの誘い方も、強制はしないので、誘われた人も「やってみよう」という気になるんだと思います(笑)。
大喜利の壺も、喜利の大壺も、クレさんの力あってのものだと思っています。
クレ:誘うのって、結構言葉選びます。
誘っても、中には出演をためらう人もいます。
そんなときには、「自分の普段思ってること吐き出しませんか?」って言ったりします。
そうすると、少しハードルが下がるみたいで、舞台に立ってくれますね。
いっさく:そう言いながら、あまりにもウケなかったときは厳しいんですよ(笑)。
でも、それがクレさんの良いところでもあります。
舞台に立ってくれた人を思ってくれているんだなと感じますね。
――さまざまなジャンルの人が喜利の大壺に出ているのは、そのような経緯があったからなんですね。お二人がお笑いをやっていて、一番印象に残っていることはありますか?
クレ:一番印象に残っていることですか…。
ああ、あります!
今、言葉を思い出すので、ちょっと待っていてください。
いっさく:M-1の話になるんですけど、1回戦を突破したんですね、めたりかとして。
そのときに、お客さんがSNSとかで喜んでくれているのを見つけたんです。
まだ1回戦ですよ。
1回戦にもかかわらず、喜んでくれているのを見つけて、嬉しかったのが印象に残っています。
内地の人で、大喜利や喜利の大壺でお世話になった人とか、僕の周りの人が喜んでくれていたのもすごく嬉しかったし、印象に残ってます。
クレ:そうそう、引用リツイートとかしてくれていて。
これは嬉しかったですね。
いっさく:印象に残ってますね。
クレ:僕も思い出しました。
喜利の大壺で、ネタが終わったあとに暗転してハケ囃子が流れるんですね。
そのタイミングで舞台をはけていくんですけど、舞台からはけていくときに客席から、「はぁ〜、面白かったぁ」って聞こえてたんです。
この、「はぁ〜、面白かったぁ」の一言が、もうずっと耳に残っています。
これが一番印象に残っていることです。
いっさく:そうなんだ。
覚えてないなぁ…。
クレ:いっさくさんって、こういうところがあるんですよ(笑)。
――お二人とも、お客さんに喜んでもらえたことが印象に残っているんですね。お話をうかがっていると、お二人はタイプが真反対なのに仲が良い印象です。お二人の関係性について教えてください。
いっさく:関係性というか、めたりか内のヒエラルキーで言ったら、クレさんがダントツで上です。
僕は、クレさんについていくっていう感じですね。
クレ:いっさくさんって、ネタのときもそうなんですけど、勝手に裏切ることが多くて(笑)。
先ほど、M-1の話をしてましたけど、1回戦と2回戦で同じネタをしたんです。
1回戦では、いっさくさんが、少し気持ち悪い人っていう感じでネタをしたんですが、2回戦では、勝手にキャラを強めに変更してきて。
目がバキバキの怖い人になっちゃってて、お客さんがドン引きしてしてました(苦笑)。
だから、今では、いっさくさんに、事前に何かを伝えるってことはしていません。
勝手なことされても困るので(笑)。
今年も、大きいイベントも決まり、もうライブも決まっているものもあるのですが…。
いっさく:えっ、それ聞いてない!
クレ:言ってません(笑)。
勝手なことされると困るので(笑)。
――不思議な関係性ですね(笑)。不思議な関係の中に、信頼感があるように感じられます。今まで、解散しようと思ったことはなかったですか?
クレ:解散しようと思ったことは一度もありません。
これは、絶対に言えます。
いっさく:僕自身は、実は1年ほど前に、一度、勝手にお笑い活動をやめた時期がありました。
プライベートなことですが、いろいろあって、逃げてしまったと言ったほうが正しいかもしれません。
クレ:あのときが、めたりかとして一番大変だったかもしれません。
いっさく:僕の中では、もう、解散するんだろうなと思っていて。
いっさい、連絡を取っていなかったんです、クレさんに。
でも、やっぱりお笑いがやりたい気持ちが出てきて、久し振りに連絡したら、「おう、元気ー?」みたいな感じで応じてくれて。
――急に連絡が取れなくなって、いっさくさんは解散を覚悟していた、と。クレさんは、そのとき、どう考えていましたか?
クレ:いや、本当にいっさい、解散は考えていませんでした。
復帰したいってなったときも、じゃあ、どうやって復帰していこうかとか、お客さんに許してもらえるためにはどうしたらいいかとか、考えていました。
今はネタ中に、いっさくさんを叩いたり、責めたりすることで、禊を受けさせています(笑)。
いっさくさんは、今はまだ禊期間中ですね(笑)。
いっさく:いや、本当にクレさんには頭が上がりません。
だから、めたりかのヒエラルキーのトップにはクレさんがいて、大きな差があいて僕がいるんです(笑)。
めたりかが見つめる先にあるものとは?どこにもない”フリースタイルのお笑い”を、「どちらかが亡くなるまで」やりたい
――今や、沖縄でフリー芸人といえば、めたりかと答える人が多いと思いますが、この先の夢や目標があれば教えてください。
クレ:実は、いっさくさんのピンのネタで、沖縄のアイコンになりたいってネタがあるんですが、僕の中で、いっさくさんは「かなりキャッチー」な印象があって。
沖縄だけというわけではないんですが、この人をもっと知ってほしい、本当にアイコンにしたいなっていう思いはあります。
いっさく:先ほども言いましたが、僕は本当に、クレさんについていくだけっていう感じです。
クレ:ついてきてくれるだけでも、ありがたいですよ(笑)。
一緒にでっかい景色を見てみたいっていうのもあります。
あと、僕はお笑いができる場所があって、ライブができているだけで幸せなんです。
もちろん、どこかからお誘いがあって、県外とかのライブに出られれば嬉しいですが、僕は沖縄でのライブ活動をずっと続けていきたいですね。
あと10年、20年と続けていきたい、70歳になってもめたりかとしてライブをしていたい、そんな気持ちがあります。
どちらかが亡くなったら、それが最後のめたりかのネタだっていう思いですね。
いっさく:僕も、この状況がすごく楽しいんですよね。
喜利の大壺がすごく楽しくて。
クレ:じゃあ、現状維持?
いっさく:まあ、現状維持(笑)。
それもありますが、僕、実はやりたいポジションがあるんですよ。
O-1グランプリ(沖縄テレビが2007年から毎年1月に開催する、お笑い芸人による年始恒例の一大コンテスト)の、芸人さんの出番が終わって集まってくるトークブース。
そう、ゆうりきや〜さんがわちゃわちゃしてるポジションをやってみたいですね。
クレ:じゃあ、ポストゆうりきや〜さんを目指す?
いっさく:じゃあ、ポストゆうりきや〜さんを目指すということで(笑)。
フリースタイルを貫き、自分たち自身を貫く。めたりかの軌跡はまだまだ続く
めたりかは、とてもバランスの取れたコンビでありながら、どこかアンバランスという、不思議なコンビでした。
しかし、だからこそ唯一無二のコンビだと言えるかもしれません。
クレさんは今日も、自分自身がやりたかった大喜利を、沖縄に根付かせようと努力しています。
それと同時に、大喜利に参加している面白い人を見つけては、お笑いに誘うことで沖縄のお笑い文化に新しい風を吹かせようとしています。
いっさくさんは、独特の発想をもとに、めたりかの存在感をより一層際立たせているようです。
ウケることも面白いけど、滑ってお客さんが困惑したり、クレさんの困惑した顔を見るのも好きだという、いっさくさん。
どちらも、既成概念にとらわれない独特な感性で、めたりかという、唯一無二のコンビを作り上げてきました。
今後、めたりかがどのような軌跡を辿っていくのか。
筆者は定期的に追っかけてみようと考えています。
沖縄から、フリースタイルのお笑いという新しい風を吹かせるコンビ・めたりか。
彼らの活躍をその目でみたいという人は、ぜひ、「壺屋演劇場かさね」まで足をお運びください。