インタビュー つなぎ手たち

小1で心を奪われた『執心鐘入』——若き立方・翁長俊輔が語る組踊の“魅力と未来”

首里城へ向かう県道29号線を進み、旧円覚寺経堂(弁財天堂)の方へ曲がると、緑が多く、どこか落ち着いた空気が広がっている。
その中に、花ブロックや赤瓦が映える、沖縄らしい建物が見えてくる——沖縄県立芸術大学だ。

今日は、沖縄の伝統芸能を担う若手にインタビューをする日。
正直、筆者は少し緊張していた。

というのも、伝統芸能についての知識は一般の人と大差なく、専門的なことはほとんど知らない。
だからこそ、「もっと知りたい」という強い思いが、この取材を始めるきっかけになったのだ。

駐車場に車を停め、待ち合わせ場所の正門へ向かうと、一人の男性が迎えてくれた。
ぱっと見は、大学院生活を楽しむ今どきの学生——そんな印象だ。

しかし彼は、沖縄が誇る伝統芸能「組踊」の担い手として研鑽を積む若手であり、
沖縄県立芸術大学大学院に在籍しながら、国立劇場おきなわの第7期組踊研修生として日々稽古に励む、翁長俊輔さんである。

昼は大学院で学び、夜は研修生として汗を流す。
そんな忙しい日々を送りながら、彼はなぜ組踊にこれほど打ち込むのか。
その情熱の源泉はどこにあるのだろうか。
組踊の未来を見つめる若手が抱く想いとは——。

その生の声をすくい取り、伝統芸能の魅力を探っていくインタビューの第1回をお届けする。

「昼は大学院、夜は4時間稽古」 という「二足のわらじ生活」

翁長さんは現在、沖縄県立芸術大学の大学院で学ぶかたわら、夜は国立劇場おきなわの組踊研修生として稽古に励んでいる。
昼は大学院で勉強し、夕方になると劇場へ向かい、18時30分から21時45分までの約4時間みっちり稽古。
それが、ほぼ毎日続くという。聞けば聞くほど、想像以上にハードな生活だ。

ふと気になり、組踊研修生とはどのような人たちが集まっているのかを尋ねてみた。
対象は、中学校卒業以上から30歳未満。それに加え、沖縄伝統芸能のある程度の素養が求められるという。
いわゆる“まったくの未経験者”が飛び込むには、やはりハードルが高い世界なのだと感じた。

続けて、素朴な疑問をぶつけてみる。
「国立劇場おきなわでは、どのようなことを学んでいるのですか?」

組踊の実技はもちろん、それに関連した副実技もあるそうだ。立方の場合、3年間の内の2年間は琉球舞踊を、残り1年は歌三線、箏、笛、胡弓、太鼓の楽器の中から一つ選択して演奏法を学ぶ。ちなみに翁長さんは、歌三線を選択している。

これだけでも相当に大変だと思うのだが、さらに発声練習や作法、舞台扮装まで幅広く学ぶそうだ。

加えて、座学も欠かせない。
なかでも大変なのが琉球古語の習得だという。
組踊の謡はすべて琉球古語で行われるため、意味を理解しなくては所作と結びつかない。
翁長さん曰く、「源氏物語を原文で読むような感覚に近い」とのこと。
同じ日本語でも古文が難しく感じるように、同じうちなーぐちでも琉球古語はまったく別物なのだろう。

それでも琉球古語の理解は欠かせない。
「組踊では歌と所作が連動しているところもあります。だから、意味を紐解いて理解しておくことは大切なんです。
師匠からも“道理を理解しなさい”と言われています。歌の意味が分かると、所作に活きてくるんです。」

厳しい世界を想像していたが、その点について尋ねると少し意外な答えが返ってきた。
昔は確かに厳しい指導もあったが、現在は時代に合わせた指導法になっているという。
とはいえ、人間国宝の先生から直接指導を受ける際は、自然と背筋が伸びる。
その瞬間には、伝統芸能という世界に対する研修生の畏敬の念がこもっているように感じた。

このように組踊研修生は、3年間で知識と実技の両方を身につけ、伝統芸能の担い手となることを目指していく。
それはまさに、文化の未来を継ぐための修行期間なのだと実感した。

小1で出会った『執心鐘入』——段ボールで鐘を作った少年時代

翁長さんが琉球舞踊を習い始めたのは、小学校3年生の頃。
きっかけは、祖母・上間朝子の存在だった。上間は琉球舞踊と沖縄芝居(劇団群星に所属)に携わっており、その姿を見るのが楽しくて仕方なかったという。

「きっと祖母の大ファンだったんだと思います」
そう言って笑う表情は、当時の記憶を蘇らせているようだった。

小学校に入ってからは、祖母の踊りだけでなく、テレビに映る琉球舞踊にも夢中になった。
ある日、「高平良万歳(たかでーらまんざい)」を見ていた翁長さんが、突然その踊りを真似し始めたという。テレビを見ただけで覚えたのか、そのままの勢いで踊り出したのだ。

しかし、そこにはひとつ問題があった。テレビを見て覚えたせいか、振りがすべて“逆”になっていたのである。「これはちゃんと習わせないと」と感じた両親は、小学校3年生のころ、玉城流てだ也の会石川直也会主の琉舞道場へ通わせることを決めた。

組踊との出会いは、それよりさらに前にさかのぼる。
小学校1年生のときに観た「執心鐘入」だった。観た瞬間、「面白い」と素直に感じ、家に帰るなり段ボールで鐘を作り、真似をして遊び始めたという。
幼いながらに、その世界観に強く惹かれたのだろう。

では、組踊のどんなところに惹かれたのか。

「昔から何かになり切るのが好きでした。学芸会の役を演じるのも好きで。
だから組踊の役になり切るというところに魅了されたのかもしれません。」

琉球音楽や踊りに馴染みがあったことも大きいという。
組踊の音楽に魅せられ、動きに魅せられ、役に没頭する—そのすべてが少年の感性に響いた。

さらに、祖母・上間朝子の影響も見逃せない。祖母は沖縄芝居で主に三枚目を演じているという。

「祖母は必ずお客さんを笑わせていました。
その熱量や“楽しんでもらおう”という気持ち、そして自分も楽しむ姿勢。それが伝わってきたんです。
だから演じることの面白さを感じていたのかもしれません。」

そして、師匠・石川直也氏が組踊の立方でもあったことも後押しになった。

「師匠がやることに対して、何でも憧れる子どもでした。舞踊やりたい、芝居やりたい、組踊やりたい…そんな感じで(笑)。
芸大を目指したのも、師匠が芸大の3期生だったからです。小学生の頃から“芸大に行く”って思っていました(笑)。」

幼い日に感じた「面白い」という気持ち。
それは長い年月を経ても消えることなく、むしろ強まり続けた。
そして今、翁長さんは大学院生として、また第7期組踊研修生として、子どもの頃に抱いた夢のど真ん中に立っている

初心者に見てほしい組踊の“本当の魅力”

一般的に、伝統芸能には「難しい」というイメージがつきまとい、それが鑑賞を遠ざける理由になっている人も多いのではないだろうか。

「組踊への入り口は、たくさんありますよ」
翁長さんは、そう言って笑顔を見せた。

たとえば、衣装の華やかさに惹かれてもいいし、音楽の心地よさがきっかけでもいい。
どんな入口でも構わないので、そこから組踊の面白さに気づいてもらえたら嬉しい、と話す。

組踊を一度も観たことがない人、あるいは過去に観たものの、それ以来足が遠のいている人も多いだろう。
実際、私自身もその一人だ。
そこで、組踊の魅力を初心者に伝えるとしたら、どう語るのかを尋ねてみた。

「組踊って、堅苦しいとか難しいとか、そういうイメージがあると思うんです。でも実は、今と変わらない“人間そのもの”を描いているんですよ。
恋だったり、親子の愛情だったり、人情だったり。
そういう普遍的なドラマがあるので、今の私たちにも通じると思います。」

組踊が誕生した背景も魅力だという。

「当時の組踊って、国家プロジェクトというような側面もあったんです。中国や日本の文化を吸収しながら、琉球独自の文化を築いていった。
そんな先人たちの偉大さを感じられるのも魅力のひとつですね。」

さらに、組踊には“余白”がある点も魅力なのだそうだ。

「歌詞やセリフの解釈も、観る人によって違います。だから想像力を働かせながら観る演劇なんです。
いろいろな想像ができる余地がある…そこも魅力だと思います。」

観るたびに解釈が変わり、演じる人によっても見え方が異なる。
その“変化の幅”についても語ってくれた。

「流派で型は決まっているんですが、毎回ほんの少しずつ違いがあるんです。さらに演じ手の解釈でも印象が変わります。
演じ手が多ければ多いほど違った組踊が生まれる。
これが組踊のすごいところで、最大の魅力かもしれません。」

組踊の魅力を語る翁長さんの表情は、本当に嬉しそうだった。
真剣に言葉を選びながらも、ときおり「推し」を語るように笑みをこぼす。
その姿を見ていると、自然と私も組踊を観に行きたくなってくる。

これから組踊を観てみたい人、長い間観ていなかったけれど興味が湧いてきた人は、ぜひ翁長さんの語る“組踊の魅力”に注目してみてほしい。

「新しい組踊を作りたい」——夢は「スーパー歌舞伎のような進化版組踊」

伝統芸能の世界では、継承者不足が深刻な課題となっている。
組踊も例外ではなく、現代の私たちにとっては“近いようで遠い存在”になりつつあるのかもしれない。

それでも、その世界に飛び込み、未来を担おうとしている若者がいる。
翁長さんもそのひとりだ。
まず、翁長さん自身が「どんな立方になりたいのか」を聞いてみた。

琉球芸能専攻准教授である阿嘉修先生の言葉で、今でも強く印象に残っているものがあります。
『まずは実験しなさい』という言葉です。
舞台の上で、自分が思ったことをまずは表現してみなさいという意味でした。」

組踊には「型」がある。
その型の中で、どれだけ自分の個性を出せるか
その試行錯誤こそが翁長さんにとっての「実験」なのだという。

「僕は、つい実験をやりすぎてしまうほうなんです(笑)。
怒られるわけではないんですが、『ちょっとやりすぎじゃない?』と言われたり、逆に『面白かったよ』と言われたりもします。
でも型の中で実験を重ねて、自分の個性を出すことで、お客さんを楽しませたいんです。」

役について尋ねると、迷いのない答えが返ってきた。

どんな役でもやりたいです。与えられた役を演じていくうちに、どんどん好きになっていくタイプなので。
本当に全部の役をやってみたいんですよ。もう、キリがないです(笑)。」

そして話題は、組踊の「これから」へ。
翁長さんには、胸の内に大きな夢があるという。

「実は、生涯をかけた夢と言ってもいいものがあります。
全部は話せないのですが……新しい組踊を作りたいと思っているんです。」

「新しい組踊」とは何なのか。

「組踊の役者が演じるものであれば、ダンスでも芝居でも、組踊になり得るんじゃないかと思っています。
高校のとき、演劇部で演技をしていたら『組踊っぽいよね』と言われていたんです。
それは体得したものが自然と出ていたんだろうな、と。一度染みついたものは取れません(笑)。」

だからこそ——と彼は続けた。

組踊の役者がつくる新しい表現
新作組踊とも違う、新しいジャンルの現代に生きる組踊。そういうものを作ってみたいんです。
う〜ん……“スーパー歌舞伎”みたいな、そんな新しい組踊ができたら良いなって。」

未来をまっすぐに語る翁長さんの表情は、静かで、そして眩しかった。

組踊を愛し続ける若き立方:その目に映る未来

幼いころから沖縄の伝統芸能に触れてきた翁長さん。
その積み重ねが今では揺るぎない「愛」となり、全身からあふれ出している。

もっと多くの人に、組踊を知ってもらいたいんです。
そのためなら、琉球芸能以外の演劇・テレビのバラエティ・ドラマなど何でも出てみたいなと思っています(笑)。でもそれはあくまでも、組踊立方・翁長俊輔のPRとしてです。
いろいろなメディアを通して、組踊の面白さを広めていきたいですね。」

語る口調は明るいが、言葉の根底には確かな情熱がある。

インタビューを終え、駐車場へ向かう道すがら、翁長さんと他愛もない話をしながら歩いた。
どこにでもいるような、元気で素直な青年——そんな印象だ。
しかし、目の奥には、沖縄の伝統芸能・組踊に対する深い誇りと愛が宿っている。

組踊をもっと知ってもらいたい。
その先に、新しい組踊を作りたい——。

彼の描く夢は大きく、そして確かな力強さがあった。

もしかすると未来のどこかで、「翁長俊輔」という名前が、新しい沖縄芸能の道を切り開いた人物として語られているかもしれない。
そんな予感を胸に抱きながら、私は車のエンジンをかけた。

この連載では、沖縄の芸能を未来へと「つないで」いく若い表現者たちの声をお届けしていく。
第1回は、組踊に心を奪われた少年が“つなぎ手”として歩む物語だった。
また次回も、ひとりの若者の想いを追いかけたい。

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