エッセイ

歩くことが好きだから、僕は散歩し続ける

晴れている日は毎日、歩くようにしている。
もともと、歩くことが好きだったから。
運動神経はないけれど、歩くことなら誰にも負けない!
そんなよく分からない自負があった。
今日は、僕の「歩くこと」についてのお話。

「歩くこと」が大好きだと自覚したのは大学生の頃だ。
20年以上前のことになる。
なぜ、歩くことが好きと気づいたのかは、友人からの一言だった。
冬の京都、底冷えのする部室の中でハロゲンヒーターを入れながら、講義をサボっていたときのこと。
「土日は本屋巡りをするために北大路から四条まで、歩いて行ってんねん」
エセ関西弁を使って、そう語ると、寝転がっていた友人がムクッと起き上がり、呆れた顔を向けてきた。
「お前、アホちゃうか?北大路から四条まで歩いて行ってんの?ちょ待ちや」
吸いかけのタバコを咥えながら、携帯をいじる友人。
検索を終えた彼は、携帯の画面を僕の目の前に突き出した。
「見てみぃ、これ。北大路ビブレから四条河原町まで6キロや。往復したら12キロ。お前、本屋にも行くんやったら、15キロ近く歩いてるんちゃう?」
僕は、彼の携帯画面を見つめながら、
「うん、そうかもしれんなぁ…」
と、自分でも呆れながら頷いた。
「散歩バカやで、自分」
「散歩バカとか言うなよ。散歩好きなだけやって」
そう、まさにこの瞬間、僕の中で自分自身が散歩好きだと自覚したのだ。

今にして思えば、4時間くらいは平気で歩いていた。
四条に行くときは、鴨川沿いをのんびりゆっくり歩き、本屋の中をのんびりゆっくり歩く。
特に疲れたということもなく(家に帰ってからどっと疲れが押し寄せるけれど)、北大路まで歩いて帰っていた。
なるほど、これは「散歩バカ」だ。
友人も面白いことを言うな、と当時の僕は納得していた。

さて、話を現在に戻してみよう。
実のところ、今は「好きだから」という理由だけで歩いているわけではない。
昨年の5月末、僕は生死の境をさまようような事故を起こした。
人を巻き込むことはなかったものの、自分自身が大ケガ。
右足の4箇所を骨折するものだった。
不思議と足以外にケガはなかったのだが、下手をすると右足を失っていたかもしれなかった。
幸い、右足の整復手術が成功し、足を切断することはなかったのだが、4ヶ月以上の入院生活に入ることになる。
命が助かったのも奇跡、右足が付いているのも奇跡だと言われ、自分の運の良さに気付かされた。
1ヶ月以上をほぼ寝たきりで過ごし、リハビリ病院へ転院。
そこで、地獄のような(大袈裟に聞こえるが、本人にとっては地獄だった)リハビリを行う。
このリハビリのおかげで、膝も正座まではいかないが、深く曲げられるようになった。
これも、担当医の話によれば奇跡だったようだ。

「右足はかなり筋力が落ちているから、なるべく筋肉をつけるようにすること。君は散歩が好きだと言っていたから、それを続けるといいよ」
担当医がニコリと笑いながら、僕にそう告げた。
確かに、お風呂に入るとき鏡を見ると、右足が細くなっている。
リハビリ中も、右足に思ったように力が入れられない、全体重を支えられないことが辛くてたまらなかった。
退院後も、右足に体重を乗せるとガクッと崩れそうになる。
退院後初の散歩は10分くらい歩くのも大変だった。
とにかく、右足がだるくなるし、痛くなる。
それに加えて、体中が疲れてしんどくなる。
体力の衰えを実感した瞬間だった。

今、僕はゆっくりとだが、30分以上かけて散歩を楽しんでいる。
周りの景色を見ながら、改めて自分の住む町の良いところを見つけながら。
こんなところに、こんなものがあったんだ。
こんな面白いものがあるんだ。
小さな発見だが、それに心弾む日々。
片足で立っても足が痛むことも少なくなった。
今日も、僕は散歩する。
「散歩バカ」の称号を汚さないように。
自分自身の体力をつけるために。
歩けることに感謝しながら。

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